歴史

【井伊の赤備え】って井伊直政が山県昌景から引き継いだってホント?

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この記事では「井伊の赤備あかぞなえ」について解説していきます。

赤備えとは朱色(赤色)に塗られた甲冑などの軍装のことをいいます。

井伊の赤備えとは

徳川家康の家臣だった井伊直政の軍のことを指していいます。

この記事では

・そもそも赤備えって何なのか

・井伊の赤備えとはなにか

・井伊直政が赤備えを身につけるに至った経緯

・井伊直政以外にも赤備えを身につけていた軍

について解説していきますので

ぜひ最後までご覧ください。

お城ちゃん

井伊直政は徳川四天王のひとりです!

赤備えってなに?

冒頭でも書きましたが、赤備えとは

朱色(赤色)に塗られた甲冑などの軍装のことをいいます。

井伊の赤備えとは?

徳川四天王のひとりで、武功と内政手腕の両方を持ち合わせていた武将、

井伊直政の部隊の軍装は朱色(赤色)で統一されておりました。

赤備えを身につけられるのは戦国屈指の精鋭部隊のみで、

「井伊の赤備え」として戦場で恐れられていました。

山県昌景から引き継いだってホント?

結論から言うとホントです。

武田信玄の家臣だった山県昌景が着用していた赤備えを

井伊直政が引き継ぎ「井伊の赤備え」として恐れられました。

しかし赤備えの始まりは他にあります。

赤備えの始まり

赤備えとは、元々は武田軍に仕えていた「飯富虎昌おぶ とらまさ」が指揮していた精鋭部隊のことです。

全員が朱色の甲冑で揃えていました。

飯富虎昌が武田信玄の暗殺を企て失脚したあとは、

弟の「飯富昌景おぶ まさかげ山県昌景やまがた まさかげ)」が赤備えを引き継ぎました。

この山県昌景の赤備えは武田戦国最強時代の中心的な存在として

他国を震え上がらせました。

井伊直政が赤備えを引き継いだ経緯

武田家は絶頂期に信玄が病死してしまい、崩壊の一途を辿り滅亡してしまいます。

その後いくつかの戦を挟み、徳川家康が武田の遺臣たちを召し抱えることになりました。

赤備えは徳川四天王の井伊直政に引き継がれ「井伊の赤備え」として

幕末まで続くことになりました。

実は他にも赤備えを身につけていた軍がいた!

飯富虎昌、山県昌景、井伊直政へと継承された赤備えではありましたが、

実は他にも朱色の甲冑を身につけていた精鋭部隊がありました。

真田信繁の部隊(真田の赤備え)

それは「大阪の陣」で徳川家康をあわや切腹まで追い詰めた

真田信繁(真田幸村)の部隊です。

「真田の赤備え」ともいわれています。

大阪の陣で真田信繁が自身の部隊に赤備えを身につけさせた理由は諸説ありますが

①真田家も元々は武田軍の家臣だったこと

②闘志や気概を全面に表し相手を威嚇するため

だったのではと考えられています。

絶望的な大阪の陣での戦いで

「赤備え」を身にまとい戦場に散っていった真田の戦いは

伝説として語り継がれています。

まとめ

今回の記事は以上になります。

・そもそも赤備えって何なのか

・井伊の赤備えとはなにか

・井伊直政が赤備えを身につけるに至った経緯

・井伊直政以外にも赤備えを身につけていた軍

詳しく知れたのではないかと思います。

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最後まで読んでいただきありがとうございました!

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